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写真を撮るとき、 私たちは写真に触れている。
空間を流れる時間の中で「ここ」 と決めた感触は もう私たちの体に染み付いている。
目の前にドアに触れようとした瞬間、 そのドアは画像としてめくれる。
それは剥がれた時から画像として現れるが、 私たちはそれが体に触れる写真のように感じる。
この作品はバーチャル空間と物理空間の写真をめくることにより 両方の空間を写真を介したPortalとしてつなぐ試みである。
現実感の薄れた現実に、私たちは触れることができるだろうか。
写真を撮るとき、 私たちは写真に触れている。
空間を流れる時間の中で「ここ」 と決めた感触は もう私たちの体に染み付いている。
目の前にドアに触れようとした瞬間、 そのドアは画像としてめくれる。
それは剥がれた時から画像として現れるが、 私たちはそれが体に触れる写真のように感じる。
この作品はバーチャル空間と物理空間の写真をめくることにより 両方の空間を写真を介したPortalとしてつなぐ試みである。
現実感の薄れた現実に、私たちは触れることができるだろうか。

​Portal film

写真を撮るとき、 私たちは写真に触れている。
空間を流れる時間の中で「ここ」 と決めた感触は もう私たちの体に染み付いている。
目の前にドアに触れようとした瞬間、 そのドアは画像としてめくれる。
それは剥がれた時から画像として現れるが、 私たちはそれが体に触れる写真のように感じる。
この作品はバーチャル空間と物理空間の写真をめくることにより 両方の空間を写真を介したPortalとしてつなぐ試みである。
現実感の薄れた現実に、私たちは触れることができるだろうか。
When we take a photograph, we are touching it.
The feeling of "here" in the time that flows through the space has already become ingrained in our bodies.
The moment we try to touch the door in front of us, the door flips open as an image.
It appears as an image from the moment it is peeled off, but we feel it as if it is a photograph touching our body.
This work is an attempt to connect the virtual space and the physical space as a Portal through the photograph by flipping the photograph.
Can we touch a reality that has lost its sense of reality.

体験はPCVR・Quest2を推奨
※web版ではワールド移動のみで写真をめくることができません。

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